◆1900年代(戦後〜)
1946年
(昭和二十一年)
長岡の復興を記念し、復興祭り(現在の長岡まつり)が行われる
1947年
(昭和二十二年)
昭和天皇が長岡に御巡幸。当時まだ、工場の再建途中で、製造休止中だった紅屋重正は、長岡市の依頼を受け、小林権兵衛商店の菓子工場を借りて、大手饅頭を特製し、献上しました。
三年後、紅屋重正も念願の菓子製造販売を再開。市内神田地区で開催された、新潟県産業博覧会に、自社工場で製造した大手饅頭を出品いたしました。
1951年
(昭和二十六年)
サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約締結

同年、復興記念の復興祭りの名称が長岡まつりと改定されました。この年、14年ぶりに花火大会で三尺玉が打ち上げられ、また、JR長岡駅前に、平和像がたてられました。
1953年
(昭和二十八年)
長岡市の復興都市計画事業がついに完工。

大阪で、第一回全国菓子工芸展が開催され、紅屋重正は「水花火」を出品し、厚生大臣賞を受賞いたしました。同年、経営体を法人に改組し、商号を「株式会社 紅屋重正」として新たなスタートを切りました。
1963年
(昭和三十八年)
三八豪雪。大雪で、長岡市の交通機関が麻痺し、市民の生活は大混乱しました。さらに悪いことに、長岡地震や夏季の水害に見舞われ、甚大な被害が出ました。
しかし、日本は急速な復興を推し進めました。翌年の1964年、東海道新幹線が開通し、高速道路網が整備され、東京で、第18回オリンピックが開催されました。
1973年
(昭和四十八年)
1970年代に入ると、日本は高度経済成長をひた走り、Made in Japanの製品が世界各地の市場を制覇するようになりました。

紅屋重正も、「玉淡雪」「杣ヶ苞」と次々と新しいお菓子をつくり、全国菓子博覧会で数々の賞をいただきました。
1982年
(昭和五十八年)
大宮−新潟間で上越新幹線が開通
1985年
(昭和六十年)
大手大橋が開通。長岡市議会で新発展計画が決議され、翌年長岡バイパスが全線開通するなど、交通網の整備が急速に進められました。
1989年
(平成元年)
日本は円高不況から一転し、バブル経済に突入。
1994年
(平成六年)
長岡市が市制90周年を迎えました。米百俵デーが制定され、長岡祭りの花火大会は、ファンタジック・イルミネーションin信濃川で盛り上がるなど、記念事業が盛んに開催されました。

この年、金沢で開催された第二十二回全国菓子博覧会に、紅屋重正は「紅あづき」を出品し、名誉総裁賞を受賞いたしました。
1999年
(平成十一年)
県道351号線の拡張工事に伴い、紅屋重正の本店ビルを現在の表町1丁目10−35に移転しました。
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